ぼやぼや意見録

ぼやぼや意見録は、政治・社会・歴史・文化などに対して私自身が思うことをそのまま記録していくブログです。

歴史学者の致命的な問題

以前、太平洋戦争についての本を手に取ったとき「太平洋戦争は連合国による打倒ファシズムの正義の戦いだ」と書いてあった。

私はこの表現について全く納得できない。

 

軍事知識や経済知識にかける歴史家は、戦争の理由を思想・感情論・正義と悪といった構造でしか捉えることができない。

しかし、戦争にはその他様々な分野の思惑が絡んでおりそのように構造を単純化することはできない。

単純化することで、様々な事実を無視できるようになり自分の主張を発信しやすくなるのだろう。しかし、それは歴史検証をするべき歴史家のすることではなく、むしろ事実を自分の都合のいいように解釈する活動家のすることだ。

 

少なくとも戦争をすることで得られるリターンが、そうしないことで得られるリターンより大きくなければどの国も戦争を始めることはできない

 

例えば、日中戦争時西洋諸国はこぞって中国支援に乗り出した。

その理由を、日本軍の悪行を見かねた正義のヒーローたちが悪の親玉を打つため中国に力を貸したのだ、というの甚だおかしい。

西洋諸国が対華支援を決定した時、中国の人口に裏付けされた潜在市場の大きさに目もくれず多額のコストを払うことはあり得ない。

人件費がうなぎ上りの西欧諸国が中国の安い労働力を加味せず、支援を決定したはずがない。

太平洋戦争においても、度重なる空襲は単に日本人の士気を低下させるために行われたのではない。その背景に経済利益を追求する連合国の方針が見え隠れしている。

 

一般論では、考慮されるべき人種差別的背景・経済背景・軍事背景が無視されていることがしばしばだ。

 

これらを総合的に評価して初めて歴史的研究ができることを忘れてはいけない。